空き家を借りる5つのメリット
どうも、30代ダンナです。
このブログは一応、将来都心部からの地方移住、田舎暮らしを考えている方へのささやかな情報提供も目的にしてるので、タイトルの通り地方移住して空き家を探して、住んでみての自分なりに感じたメリットとデメリットを前後編に分けて書いてみたいと思います。
まずはメリット編。
ではレッツゴー!
1.「家賃が安い」
これは大事ですね~。
家賃は東京などの都心部から比べると確実に安いです、特に空き家に住むとなると家賃相場というのが存在しないので、交渉次第でいくらでも安くなります。
僕らが越してきた地域はそこまで移住者の受け入れに力をいれてなかったので探すのに一苦労しましたが、移住を積極的に受け入れてる地域(群馬では桐生市が有名らしいです)などは農地つきの古民家をタダで貸してくれたりするらしいです。
ちなみに僕らの場合は最初の2年間は4万円、その後は2万円という契約になりました。
(その経緯については次の記事に書く予定です)
2.「とにかく広い」
でっかいテーブルもでっかいソファーも置き放題、巨大リビングにはなぜか卓球台と電子ドラム、使わないミシン、使わないぶら下がり健康機まで置いてあります。
寝室横の小部屋は贅沢にウォークインクローゼットに。
僕らの借りた家は2階建ての一軒家なんですが2階は完全にもて余してます。誰か住みますか?笑
広すぎるのでちょっとアレが必要だ、コレが必要だってときにいちいち遠いです、よく言えば足腰が鍛えられます。
掃除がキライな人にとっては広すぎるのはデメリットかもしれないですね。
3.「大家さんとの直接交渉だと契約がスムーズ」
不動産を通した方がトラブルがあったときにお互いに安心であることは間違いないので、オススメするわけではないですが、「そういうのがめんどくさい」という人にはメリットになると思います。
もちろん賃貸契約書は作成してもらって、保証人をたてる、火災保険に入るなどの最低限の事は絶対にやりましょう。
持ち主さんのご厚意ありきで住まわせてもらってるので、ご迷惑はかけたくないものですね。
4.「改造したり、大きい音だしたり、やりたい放題できる」
これも大家さんとの交渉次第ですが、キッチンやトイレなどはどうしても古い家だと使い勝手が悪かったり雰囲気が暗くなりがちなのでDIY的にペンキを塗ったり、壁を貼りかえたりして自分好みにアレンジできます。
これは普通の賃貸物件ではできないですよね(^.^)
あと立地条件にもよりますが多少でかい音だしても近所迷惑にはなりません。
楽器を弾いたりする人にはこれは嬉しいんじゃないでしょうか。
5.「家具や家電、置物をそのまま貸してくれる」
空き家はたいてい家財道具はそのまま放置されているので、タンスや食器棚、エアコンなどは自由に使って下さいなということになりやすいです。
買ったら高そうな渋い和風のオブジェなんかも置いてあったりして。
大家さん的にも運び出したり、別の場所に保管したりするのが手間ですからね。
引っ越しの手間や新しく家具などを揃える費用も浮くので金銭的にもだいぶ助かります。
移住生活約2か月で、肌で感じた空き家の代表的なメリットはこんな感じです。
その他にも、観葉植物、野菜育て放題、友達呼び放題、車たくさんとめ放題(駐車場タダ)など書き出せばキリがないくらいたくさんのメリットがあります。
将来、地方移住を考えている方。
せっかくですので空き家を探してみてはいかがでしょうか。
少しでも皆さんの参考になっていれば幸いです。
空き家を見つけるまでの経緯はこちらの記事で↓
空き家をゲットせよ - 30代からの田舎暮らし、どうなることやら
最後まで読んでいただきありがとうございました!
空き家をゲットせよ
↑とある日の朝の風景、美しい、、
どうも、ようやく長めの自己紹介が終わって胸をなでおろしている30代ダンナです。
はてなブログのアクセス解析なるもので、このブログのきのうのアクセス数を調べたらゼロでした(涙)
頑張ってコンテンツを充実させてまずは友達100人を目指します!
今日は「家」をテーマに書いていこうと思います。
僕らが東京から群馬へ引っ越してきたのは2018年の6月、その直前の4~5月は東京の住居をひきはらってアフリカへの新婚旅行へ行ってたので3月いっぱいまでに群馬での家を見つけなければいけない。
地方移住、田舎暮らし、スローライフと言えばやっぱり「古民家」でしょ!
ってことで何回か東京から群馬へ通い、知り合いや市役所、地元の不動産を回って
(-.-)「いい感じの古民家、貸してくれそうな人いないっすかね?できればタダで!」
とりあえず、あれば儲けもんくらいの気持ちでムチャいってみたら、皆さん
「探してみるよ~」
と前向きな回答を頂けて期待に胸が膨らみます、言ってみるもんだ。
そのうちのひとり、僕の25年来の知り合いであり、移住歴40年の大先輩が
「うちの隣、空き家で持ち主さんとも知り合いだから許可とって見に行って見ようか、いま」
と言ってくれたので早速見に行ってみる!
よっしゃ!
、、お~(-.-)
、、ふむふむ(-.-)
人が住んでない家とはここまで朽ち果てるのか、、(T-T)
飲みかけのジュース、、仏壇、遺影、謎の物体が散乱し、床と天井はベッキョベキョ、水回りはナニ汚れかわからないがなかなかのえげつなさ、、
(-.-)「こりゃ無理っすわ笑」
空き家をなめていました、、。
いくら空き家がボロいといっても、昔内装屋をやってたのである程度は自分で直してしまえば良いかなくらいに思ってたけど直すにしても材料費と手間が相当かかるなこりゃ。
役所や不動産の人達も探してみてくれたみたいなんですが、
・空き家はたくさんあるけど、持ち主が賃貸契約をめんどくさがって貸したがらない(気持ちはわかります)
・荷物がそのままで撤去が大変
・ボロすぎて最低限度の修理でも結構コストがかかる
などの理由で見つかりませんでした。
古民家を諦めて普通に不動産屋さん通して賃貸物件借りようかと思って、何軒か内見しに行ったけど値段のわりにパッとせず、、
家が見つからず気づいたら新婚旅行まで1週間!やばい、、
とりあえずまた関越道をぶっ飛ばし沼田へ直行し役所、不動産、知り合いを再訪問。
必死の形相で訴えたところ、知り合いの知り合いの知り合いくらいの方が
「10年くらい住んでない家あるけど、みるだけ見てみる??」
といってくれてるという情報を得たのですぐさま現場へ。
到着!
2階建ての立派な一軒家だ!!
「はじめまして!」
挨拶も早々に早速内部を見せてもらった。
THE昭和!て感じの味のある内装、洗濯するのが楽しくなる広く日当たりの良いベランダ、昔は作業場として使ってたというめちゃめちゃ広いリビング、雰囲気ありまくりでお客さんが呼びたくなる客間、目の前にでかめのコンビニ笑
そしてとにかく部屋数が多い!
確実にもて余す自信がある!
大家さんもすごく良い人そうだ!
(-.-)「ここに住みたいです!」
(^.^)「住んじゃっていーっすよ!」
やった!
ついに家が見つかった!しかもいい感じの。
「家賃も安くて良いよ」とのこと。
ありがたい話です。
たくさんの人達にお世話になり、かくして無事に移住先の住居が決まったのでした。
めでたしめでたし。
最後まで読んでくれてありがとうございました!!
地方移住のきっかけ③ 海外放浪編
どうも30代ダンナです
まだ自己紹介の段階でなかなかのボリュームになってますね
ふりかえると色々思い出がよみがえってくるものです。
それでは前回の続き、いきまーす。
インドで出会い、インドからスタートした
「世界、いきたいとこ行ってみよう。やりたいことやってみようの旅」
これからのだいたいのルートですが、お嫁さんはもうアジア横断をひとしきり終えていたので「ネパール寄りつつインド満喫してヨーロッパ行ってみよう」てことになりました。
灼熱のインドではマサラと格闘し、ゆで卵とソフトクリームの偉大さに気づかされ。
ネパールではヒマラヤ山脈には目もくれず、町中で美味しそうなものを見つけては食べ歩く毎日。
インド、ネパールは以前一人でフラフラしてたことがあるのでまぁまぁゆとりがある旅でした。暑さ以外は。
そして、、ついに2人とも未経験、未知の世界ヨーロッパへ、、
ギリシャから始まり、東ヨーロッパを回り、オーストリアで泥棒にあい、スイス、ドイツ、スペインで旅友達との再会、同じくスペインでかけがえのない友達もできました。
ポーランドで南京虫にやられ、フィンランドで傷を癒し、北欧の物価にダメージを受け、イギリスで歴史を感じ。
気さくな人々の懐の深さに感動しつつ、ヨーロッパに別れを告げ次なる目的地は南米大陸
南米では、もちろん訪れた国の人々や世界的に有名なペルーのマチュピチュ、ボリビアのウユニ塩湖、アルゼンチンとブラジルにまたがるイグアスの滝などもそうなんですが、南米へ戦前、戦後に日本から移民として渡ってきた人たちがたくさん生活していて、町をつくり、故郷から遠く離れた土地で日本人としての誇りをもち、文化を絶やさぬように力強く生きていてるということが一番印象的でした。
学校の教科書で、昔ブラジル等に移住した日本人がいる、位のことはしっていたけどまさか実際にその人たちに自分が会いに行くとは、そして実際に昔のお話を聞くと初めて聞く話ばかりでとても勉強になりました。
その他にも、南米の路線バスの中でギターをもち歌を歌いお客さんに小銭をもらってそれで3年間生活してる日本人の方がいたり。
パソコンひとつで仕事をして世界中を好き勝手旅しながら生きてる人がいたり。
多種多様な国籍の個性的な人たちにたくさん出会いました。
元々かなり楽天的な性格だったんですけど、この旅での出会いや経験によってさらにそれが確固たるものになり
「せっかくこんな恵まれた国にうまれたんだから、やりたいこと我慢しないで生きていかなきゃな」
という結論になり、それが、つまり。
移住に至った「きっかけ」
になるわけです。
字を太くはしてみましたけど、具体的なきっかけというより気持ち的なきっかけですね。
具体的なきっかけについては今後チョロ出ししていこうと思います。
また、世界旅行の詳しいエピソードなども機会を見てアップしていきたいと思います。
読んでる人がいるのかは謎ですが、こんなつたない文章をここまで読んでくださった方に感謝いたします(^.^)
ありがとうございました。
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地方移住のきっかけ② 旅立ち編
どうも、30代ダンナです。
では前回の続きを書いてみたいと思います。
インドで音楽を通じて知り合った僕たち夫婦。
僕はライブをすることが目的の、1ヶ月だけの滞在の予定で、帰りのチケットも買っていました。付き合った時点で、一週間後には日本に帰らなければいけない身。
一方お嫁さんの方は、世界一周一人旅の真っ只中で次の目的地であるヨーロッパの冬が終わるまでインドのゲストハウスでボランティア中の身。
インドで盛り上がったはいいが、お嫁さんが次に日本に帰ってくるのは世界旅行を終えてから。
おそらく一年はかかる、、
今すぐ一緒に日本に帰ってもらうか、お嫁さんか旅を終えるまで一人日本で一年待つか、、
う~ん
う~ん
「、、俺も一緒に旅いこっかな!(・д・)」
3分くらい本気で悩んで答えが出ました。
(嫁)「え?!(°Д°)」
(僕)「いや、それもありかなーって(・д・)」
(嫁)「本当に?!え!いいよ!行こ!行こう!行っちゃおう!(°Д°)」
(僕)「よし行こう(・д・)」
この決断が今後の人生を変える決断になったのはいうまでもありません。
人生って何が起こるかわからないですね~
とはいえ自分は日本での仕事やバンドの活動など色んな事を抱えていて、尚且つ旅の資金も用意しなきゃいけない、とやることがてんこ盛りなのでとりあえず2か月ですべて整理してインドに帰ってくると約束して、付き合って一週間しかたっていないお嫁さんを一人インドに残して、一旦日本へ帰国しました。
これから一年弱、お嫁さんの旅に着いていきたいので、色々な事を一旦お休みさせてもらうために、職場の人やバンドメンバーなどなどを何とか説得し、同時にえんやこらと働き働き、資金をつくり約束通り2ヶ月後にインドにカムバック。
あのダージリン茶で有名なダージリンというインドの山間部でお嫁さんと合流する予定が、早速ロストバゲージをしてしまい、ニューデリーで1日足止めをくらい、その後無事にダージリンに到着。
ダージリンに到着した二日前に、ダージリンではひょうが大量に降ったらしく、暑いイメージしかなかったインドで、お嫁さんは寒さに震えて身体を丸めて、一人で大食い動画を観ていました。
そこに僕がふらっと登場。
2ヵ月ぶりだというのに、思ったほど《感動の再会!》感はなく、
「よっ(・д・)」
「あっ!えっ!おう!おかえり(°Д°)」
といった感じで、無事に再会しました。
そこからついに人生をかけた大ジャーニーがはじまりました。
ふりかえると結構ドラマチックですね
今日はここらへんでおいとまします
ありがとうございました(^.^)
つづく
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地方移住のきっかけ① 出会い編
どうも、30代ダンナです
今年の6月、僕ら夫婦は結婚を機に東京から群馬に引っ越してきました、いわゆるひとつの地方移住です。
子育てを自然にかこまれた環境でしたい、都会の混雑から逃れたい、養鶏での新規就農で自立したいなどなど理由は色々ありますが、僕がお嫁さんと出会って、実際にここへ引っ越してきた経緯を書いていきたいと思います
いろんなことをすぐに忘れる上に説明下手でよくお嫁さんを困らせる僕がいっちょまえに説明してみようと思います、、
わかりづらくてもどうか温かい眼差しで見守っていただけるとありがたいです
ふ~、ブログって緊張するな~
では、とりあえず夫婦の出会いから。
いきまーす
僕(当時29歳)は東京で内装の仕事をしながら音楽活動をする毎日、たまに長期の休みをとって海外ひとり旅をしたり。
30歳を目前に、家庭を持つ気配もなく、長いこと誰かと付き合ったりもなく、しかしそれなりに充実した毎日を送ってました。
そんなある日、テレビで
「フランシスコザビエルのミイラがインドにあって、それが10年に一度一般公開される、その10年に1度というのが来年」
という情報を目にして
(-.-)「これはインドに行くしかない!」
と思い立ちインドへ、、
初めてのインドは、何もかもが強烈で毎日カルチャーショックを受けていました。
人との距離感が日本とは全く違ったり、食べ物は本当にカレーしか見当たらなかったり。
南インドのムンバイから始まった旅は、途中スリランカに寄って、首都であるニューデリーに行き、そしてガンジス川のある聖地バラナシにたどり着きました。
その時泊まっていた宿で
「インドで音楽イベントをやっている日本人がいる」ということを耳にして、すぐさまその関係者さんに連絡をとり
(-.-)「僕もインドでライブがしたいです」
と伝えると
「いーっすよ!」と快諾してくれたのでトントン拍子でその1年後の年末にライブをしに再びインドへ行くことになりました。
ライブの下準備をするにあたり、僕はメンバーよりも早く、クリスマス前にインド入りをしました。
そして某ゲストハウスにお世話になりました。そのゲストハウスというのがいわゆる日本人宿(海外を旅してる日本人バックパッカーが集まる宿)で、スタッフも半分は日本人。
そのスタッフをやってる方に、たまたま元音響さんの女性がいらっしゃる!ということで、ライブを手伝ってもらうことになりました。
一緒にライブの機材の準備をしたり、当時その子はギターを始めたばかりだったので、そのギターの練習に付き合ったり、一緒に即席バンドみたいなのを組んでクリスマスに演奏したりするうちに仲良くなりまして、、
そう、その元音響さんが今のお嫁さんです。
最後の方、急展開でしたが付き合うまでのなれそめはざっくり言うとこんな感じでした。
また何か思い出したら出会い関連のエピソードも書いてみようと思います。
温かい目で見守ってくれてありがとうございましたm(_ _)m
つづく
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